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「峠の釡めし」の強固なブランド力を生かして、新事業展開を積極的に推進【週刊ダイヤモンドMI連動】

株式会社荻野屋
2021/05/21

明治18年に群馬県横川駅で創業。4代目髙見澤みねじ社長が考案した「峠の釡めし」は、温かいまま提供する、陶製の器を使うといった当時の駅弁の常識を覆す取り組みが注目され、瞬く間に日本を代表する駅弁となる。以降、モータリゼーションの進展、長野新幹線の開通による横川駅の乗降客激減など、度重なる環境の変化のなかでも堅実に成長。

一方、横川サービスエリア(上り線)の施設全体をプロデュースし、賑わいを創出してきたように、さまざまな形で街を支え地域とともに歩んできた。

直近では、コロナ禍の影響を受けて既存店舗の再構築を行う傍ら、新事業にも注力。2021年3月には、有楽町にイートイン併設型の「荻野屋 弦」をオープンしている。『諦めない経営 〝峠の釡めし〞荻野屋の135年』ダイヤモンド社から発刊。

(週刊ダイヤモンド2021/5/29号P.68「マンスリーインフォメーション」より転載)

 

荻野屋の強さをキーワードで読み解く ~取材こぼれ話~ 

4代目の思いを受け継ぐ「温かいお弁当」。その実現を裏付ける先端の衛生基準

「峠の釡めし」が生まれたのは、昭和32年。4代目となる髙見澤みねじ社長が考案したものです。当時は経営的にも不安定で、その状況を打破するために、どんな駅弁が売れるのか、お客さまが何を欲しているのか、みねじ社長は毎日のようにホームに立ち、意見や要望を聞き集めたといいます。その要望で多かったのは、「温かいお弁当」を求める声。そして「冷たい弁当が当たり前だった」当時としては画期的な“温かい”お弁当を作ることにしたのです。

もう一つ画期的だったのが、益子焼の容器の採用です。かねてからお茶の瓶などに陶器は用いていたのですが、その縁から窯元さんに提案いただき、”陶器製の駅弁の容器”という、「峠の釡めし」を象徴するシンボルが生まれたのです。


▲峠の釜めし発祥の地「おぎのやの本店」 峠の釜めし定食

もちろん釜めしの中身にもこだわりが詰まっています。家庭的な部分、峠というエリアの特徴を出そうと考え、鶏肉、しいたけ、たけのこ、あんず、紅しょうが、うずらの卵、ごぼう、栗、グリーンピースの9種類の具材を使い、炊き込みご飯と組み合わせました。実はこの具材も味付けも、殆どが誕生当時のまま引き継いでいます。すでに60年以上たちますが、非常に完成度が高い商品だったことが分かります。

そして”温かいお弁当”というコンセプトも、「お客さまの喜ぶ顔が見たい」という4代目の理念とともに受け継いできましたが、実はお弁当を温かいまま管理しお出しすることは非常に難しいのです。すぐに菌が繁殖してしまいますから。通常コンビニやスーパーなど、お弁当は冷蔵庫に置かれて売っていることが多いですよね。

ですから私たちは衛生面には徹底してこだわり、設備投資を続け、50年以上も前から現在のHACCPの概念と同レベルの、菌が付きにくい、繁殖しにくい工場であるための、独自の衛生基準を築き上げてきたのです。

 

鉄道から道路、高速道路へ。さらに首都圏進出など、時代の変化とともに変容

原点はJR横川駅の駅弁ですが、モータリゼーションの進展に合わせて、国道18号線沿いにドライブイン(現:横川店)を立ち上げたり、上信越自動車道の開通に伴い横川駅のすぐ裏手にできた横川サービスエリアのプロデュースに全面的にかかわったり、積極的に新たな展開を進めながら、社会の変化にあわせて業容を変化させ、拡大していきました。


▲電車が停まるたびに弁当を買い求める多数の乗客の姿が見られた

長野新幹線(現:北陸新幹線)が開通した1997年には、横川駅から軽井沢駅間が廃止され、横川駅は特急も止まらない、行き止まりのローカル駅になってしまいました。当然、駅で駅弁を買うお客さんは激減しています。しかしこの時はすでに、サービスエリアなどの他の部門が収益の柱を担うようになっており、それほど大きなダメージを受けませんでした。

このように、外部環境の変化がビジネスに与える効果を考え、そこにどう対処するかといった前向きな姿勢は、自然に醸成されてきた、当社のDNAと言えるかもしれません。

東日本大震災後の社会の自粛機運が強かった頃も、観光で生業を立てる私たちにとっては大きなダメージを受けた時期です。さらに当時は、経営管理の甘さから財務状態が非常に厳しくなっており、震災直後に社長に就任した私は、その改革実現のために奔走し続けました。

今回のコロナ禍も、同様に私たちにとって影響が大きいことは確かですが、当時と違って財務が非常に健全になっており、厳しい中でも前を向いて進むことができる。そこは大きな進化だと思っています。

これらの歴史や改革の振り返りは、2020年末にダイヤモンド社から出版した『諦めない経営 〝峠の釡めし〞荻野屋の135年』にも詳しく書かせていただいています。

 

「峠の釜めし」のブランドをうまく活かして

コロナ禍によって、群馬や長野への観光客が減ったことなどから、既存店舗の見直しを進めています。富岡店を移転したり、長野店の閉鎖も予定しております。


▲有楽町ガード下にオープンした「荻野屋 弦」外観

ただ一方で、2021年3月に有楽町に新業態の立ち飲み店舗「荻野屋 弦」をオープンするなど、次の時代への布石も着々と進めています。なかなか地方まで足を延ばしにくい時期だからこそ、東京で群馬や長野の魅力を味わってもらう、街と街の懸け橋になることをこの店では狙っています。

それ以前においても、新市場への挑戦はさまざまな形で進めてきました。例えば空港内での「空弁」や、コンビニエンスストアと連携した「おぎのや監修 おにぎりセット」の販売。1997年には「GINZA SIX」内へ出店するなど、エリア・内容とも着実にフィールドを広げてきました。また「空弁」で使用したパルプモールド容器は、都内やイベント販売で活用したところ、持ち運びの利便性の高さから支持を得たこともあり、新しい形での提供スタイルも生まれました。


▲2021年2月から発売された「世界の釜めし」シリーズ

現在、会社の売上のうち「峠の釜めし」の比率は3割ほどと小さくなってきていますが(注:過去の生産数では、年間470万個、1日3万5000個が最大。1997年頃)、その歴史に”依存しないように”ではなく、「峠の釜めし」のブランド力や知名度をしっかり生かしながら、新たなビジネスを進めていくことが私たちのとるべき道だと考えています。例えば、釜めしの一つひとつの具材を、オリジナルの食材として売り出していくことも、その一つと言えるでしょう。

まずは、お客さまに喜んでもらえることを第一に、美味しい魅力的な食をお届けし、同時に横川や群馬・長野の魅力も伝えていく。地域とともに歩み、街の活性化を作り出すお手伝いをしていくことも、私たちの重要な使命です。

会社概要

株式会社荻野屋
代表取締役社長 髙見澤 志和 氏

創 業: 1885年10月
資本金: 1,000 万円
従業員数: 580名(パート、アルバイト含む)

https://www.oginoya.co.jp/

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